FreeWalk 堺
  ・堺市の歴史
おすすめスポット

南海堺市駅の近くの橋の中ほどにおかれたモニュメントです。
宣教師ガスパル・ヴィエラが本国に送った手紙の中に「堺は東洋のベニスのごとし」。中世に栄えた町 堺。今もその繁栄は続いています。
見所はたくさん有ります。身体の不自由な方が気軽に行き来できるスポット、気持ちよくすごせる場所を順次紹介していきます。

中世自由都市を形成していた中心地域。豪商たちの栄華の跡、堺の黄金の日々を伝える旧跡が点在しています。
自由に散策すると古い町並みやズーと続いている名産品に出会えます。

1500年もの昔、世界3大古墳の一つである仁徳陵が築かれた都市、堺。
奈良、京都、大阪の都との要路として発展を続け、また、堺の津は13世紀初頭には「諸国七道」の廻船が発着する都として知られ、賑わいました。
さらに応仁の乱後、それまで遣明船の発着港であった兵庫が戦場となった為、堺がそれに取って代わって遣明船の実質的経営者になりその後ポルトガルやイスパニアの船がもたらす品々を平戸、長崎から輸送し貿易の拠点となりました。
堺はもと京都、相国寺等の荘園だったのですが15世紀の前半から町人たちが年貢納入を請け負い、やがて訴訟も裁くようになっていきました。
指導したのは10人の納屋衆(倉庫業の豪商)で、これが堺の自治の始まりとなりました。
のちに会合衆(えごう)と呼ばれる10人の豪商たちが市政を評議、執行するようになりました。
宣教師ガスパル・ヴィエラが本国に送った手紙の中に「堺は東洋のベニスのごとし」とあり、それを治める「執政官」のことが書かれているがそれが会合衆です。
その一人、伝説の豪商納屋助左衛門はルソンとの交易で財を成し、後に呂宗助左衛門と呼ばれるようになりました。呂宗助左衛門の居宅を移したのが大安寺の本堂といわれています。
日本一の鉄砲生産地としても知られ巨大な富を持っていた為、当時の権力者たちは、「堺を制するものは天下を制す」の合い言葉のもとに、その富を支配下に置こうとして画策し、争い、堺商人を自分の領地に移住させ、またその力をそごうともしました。

1615年、大阪夏の陣の炎が中世自由都市・堺の歴史を閉じさせました。